小池劇場を見て男女同権主義の愚かさに気づく。
『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』見てきた。
『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』を見てきた。
結論:めちゃくちゃ良かった。
俺にとって『交響詩篇エウレカセブン』は、人生を変えた特別な作品だ。
上海に留学していた当時この作品に出合い、ハマり、そしてこの作品の音楽をきっかけにアニソンにハマり、当時中国になかったアニソンクラブイベントを立ち上げた。
それから俺は帰国まで中国でアニメ文化関係の事業を続けた。そして今もまた、「アニメxテクノロジー」の新しいものを作っている。
全ては『交響詩篇エウレカセブン』がきっかけだった。
以下、内容について感想を書いていく。(弱ネタバレある)
『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』の象徴、それは『音楽』だと思う。
ただ単に音響という意味ではない。
物語の進行と演出において、効果的に音楽が活用されているのだ。
例えば、本編開始から始まる戦闘シーンは、銃声や爆発音が物語の進行を支配していて、死そのものと隣り合わせの世界を直視することになる。
そして、敵対勢力への秘密兵器として撃ち込まれた兵器の起動を境に、BGMはクラブミュージックに変わる。(それがどのジャンルなのか、EDMが適当なのかはわからない)
この瞬間までクラブミュージック系のBGMはなく、この瞬間に初めてそれがかかる。
この変化によって、雰囲気が一変する。
俺は「あ、(俺の知ってる)エウレカだ。これだよな、エウレカって。」と思った。不思議な感覚だが、昔ハマっていたエウレカという作品の世界に戻ってきたような、そんな感じがした。
別のシーンでは、レントンがレイとチャールズと再開する場面でも、公園でレイブが行われていて、音楽だけでなく場面設定でもクラブカルチャーが使われている。
音楽だけでなく、まさにカルチャー的な背景を支えるアイデンティティがクラブカルチャーだとわかる。
もう一つ特徴的な表現は、「画面比率の使い分け」だろう。
今の映像作品は、TVであれネット動画であれ、画面比率が16:9のワイドが主流で、それ以外はあまり見ない。
しかし、『交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』の本編の映像は、「4:3」なのだ。シーン転換のための文字のみの画は「16:9」なのにだ。
12年前にTV版が放送された当時の映像は「4:3」だったので、きっとTV版に合わせているのだろうと思う。
この点は、12年の歴史を持つ作品だからこそできる非常に面白い表現だと思った。
効果としては、画面比率をTV版と同じにすることで、見てる側としては自分が好きだったTV版とのつながりをより意識できるというものがある。
これは特に作画の手抜きというようなものではない。なぜならば、映画を見に行けば分かるが、前半の戦闘シーンなどはまさに圧巻の作画となっているからだ。
次回作は2018年とのこと。
アネモネが出てくる。
第1部、俺は大満足だった。
正直、TV版が好きすぎて、行く前までは「行ったらがっかりするんじゃないかな~、行かない方がいいかな~。」とか思ってた部分もあった。しかし結果は真逆。本当に見に行ってよかった。帰り際に記念にパンフとクリアファイルまで買ったくらいだ。
非常におすすめ。
それにしても、いま改めて考えるととても不思議なんだが、意図したわけではなかったが、クラブカルチャーを好む作品にハマった結果、アニソンクラブイベントを立ち上げていたというのはなかなか不思議なものがある。
ちなみに、アニメに傾倒する前は、クラブミュージックにどっぷりハマり世界クラブ旅行をするほどにクラブカルチャーを好んでいたのが当時の俺。
8年たって今頃気づいた。クラブ好きだった俺がエウレカにハマり、クラブイベントを立ち上げていたのはある意味必然ともいえる要素がそろっていたんだな。
良い作品というものは、本当に人の人生に影響を与えるものなんだな。
まぁ、好きだよ、エウレカ。今もなお。
高級車好きの中国人に見る日中の価値観のタイムマシン的なギャップ
今の20代30代にとっては、維持費というより、物心ついた時から車があるのが当たり前の時代に生まれた世代だからじゃね。
日本のバブル経済時代に子供だった日本人にとっては車は普通過ぎて興味がわかない。
このころ青年だった世代にとってはクルマはステータスで憧れだったんだろうと思う。フェラーリF40的な。
中国はここ10年とかがバブル的な価値観が支配的になってる時代なので、
日中の20,30代にはタイムマシン的な価値観のギャップがある。
留学時代何度かこのタイムマシン的な価値観のギャップを感じたことがあった。
大家とかが「車興味ないのか?」とか話ふってきて「興味ない」と答えると「おいおい、本気か?」くらいの顔をしてくる。
「日本では普通過ぎてもう興味の対象じゃないよ」とか言ってもなかなかイメージわかないっぽい。
電車でよい。(都会なら)
というか、せっかく外出するなら外気を吸える方がいいので、自転車の方が良い。(都心を除く)
台東区はいいぞ!
「台東区はいいぞ!」 ということで渋谷から移転しました。
場所は、東京で一番の文化的多様性を持ったカオスな区、台東区へ。
台東区とは、上野・浅草がある東京23区の一つです。皇居のある千代田区に隣接し、東隣にはスカイツリーのある墨田区が、西隣には東大のある文京区がある、江戸の町人文化の残る歴史ある下町。
この街には俺が求める文化的多様性がある。
台東区という土地には、根底に江戸の町人文化という非常にユニークなものがあり、これ自体が文化の土台にあると同時に街の安定をもたらしているといえる。(いろんな意味でな)
そして現代においては、上野浅草では中国・韓国・タイ・インドパキスタン系などが定住しており、DNAレベルの多様性がある。これの何がいいかというと、突き詰めると常識というものがなくなるという状況が生まれるのだ。
日本人10人がいるコミュニティの常識は日本の常識だが、日本人5人+国籍バラバラの外国人5人の場合では日本の常識の効力は危うくなり、日本人1人+国籍バラバラの外国人9人の場合はもはや常識は無くなる。
日本文化色が強いと、どうしてもあの忌々しい「空気」や目先の調和を重視しがちになるので、頭が固くなってしまう。
DNAレベルの差異が生み出す文化的多様性を持ったカオスなコミュニティでは、常識にとらわれる必要がなくなるのだ。
昔住んでいた上海ほどカオス感はないが、俺は台東区のこの点に価値があると考えている。
ということで台東区に移転です。
スタートアップと大企業とのおつきあい
東京で法人化してまだ1年経ってないけど、なんとか1周年を迎える前に東証1部上場の業界大手との正式な取引をスタートすることができた。
ほんと色々なことが起こったけど、スタートアップにとっては大事な転機といえるので、記録しておく。
なんといっても、どこと取引しているかっていうのは、会社を成長させていく上で非常に大事なことだ。
ただでさえ信用力の低いスタートアップにとって、大企業とのおつきあいがあると言えるのと言えないのとでは会社の信用において大きな差を生む。
多くのスタートアップは、自力で開拓するか、先輩起業家に紹介してもらうか、あるいは投資家の力を借りるか、という選択肢になると思う。
自分の場合は、自力で行ったことになる。
これは非効率に思われることもあるだろうが、俺としては、時間はかかるが自力でやることは自分の営業力を証明することになり、自身にもつながるのでいいことだと思っている。
むかし札幌にいた時代によく「スタートアップが大企業と直接取引するのは無理」と言われたが、この考え方は間違っているということは言うまでもない。ベンチャー育成界隈に色濃く残る悪しき発想を行動で否定できたことは、ささいなことではあるがベンチャー起業家としては大事。常識こそ破壊しなきゃいけないものなんだからな。
長くなりそうだからまとめるが、まぁ、大事なのはこれからだ。今また新たな挑戦をしている最中だ。さらなる飛躍を目指して世の中に新しい価値を生み出していきたい。